本当はすごい私

あなたは観察意識

universe-2682017_640.jpg

やりたいことがわからない。楽しいことが見つからない。生きる目的が見いだせない。

たった今、「あなた」がそう口にした段階で(そういう思いを採用した段階で)、その言葉通りになっていくのです。その無意識の思い込みに、繊細にちゃんと気づいていって欲しいと願っています。たった今、たった今、あなたがそのように意識することで、あなたはそういう自分になってしまうのです。

だから、思考も質問も、その言葉通りに実現するという意味では、あなたの ”宣言・祈り” と全く同じことになってしまうのです。あなたから宇宙への願望発信ということになるのです。

あらゆるすべては特定の価値を持ちません。特定のすばらしさもないし、特定の方法や技法もありません。

だから、あなたは何をしてもいいし、何を体験してもいいのです。そのときの波動バイブレーションだけが大事なのです。

中立が大切なのではありません。もともと機械的で中立的な全体である自分(=空)が、中立でない偏り(=個性)を知りたかったのですから。あなたという中立な「全体意識(ワンネス)」が、個性(人格)という「偏り部分」を知り続けたいのだから。

もともと、私たちの「永遠なる普遍的な喜び」というものが、「自己の可能性のすべてを観察して知っていくこと」以外にはないのです。
それだけが目的。絶対唯一の目的。

そのために、この ”肉体のエゴ” を創ったのですから。自己のすべてを知りたくて、あなたという「空」は宇宙と肉体エゴを創ったのです。だから、それを知ることが、本当の「あなた」の根源的な喜びそのものなのです。

「空」とは「意」のことです。自己のMAXの可能性をすべて知りたいと願う、喜びあふれる「意図」のことです。そして、その可能性のすべてを「空」はすでに「記憶情報」として内包しているのです。

自己を知っていくことを抜きにしては、本気で「自他ともに栄えていこう」などと宣言できないのです。自己の全てを知ろう!と意図して、あなたはビッグバンを起こしたのです。自己を知るという根源的な意図以外のものは、オプション的な喜びや楽しさでしかありません。

教え込まれた「~だと幸せになれる」というものを手に入れただけでは、深い満足は得られないのです。

人間的な生きがいや、生きる喜びそのものを探すことが人生の目的というより、「あなた」が神の目として豊かな可能性のすべて(あなたの構成要素・情報)を観察していくことが目的であり、それを体験して知ることが喜びなのだということです。

私たちの本質「空」は、一般常識を超えた自分の喜びのMAXをその都度知り尽くすことでしか深い喜びを感じません。それがベースで基本です。

肉体エゴの中に一体どういう決めつけや解釈があって、しかもその決めつけたとおりに体験したという事実を認めていく喜び、しかもその解釈や決めつけをいつでも「たった今」変更できるという喜び以上のものはありません。

アセンションを最もシンプルに言うと、次元上昇、波動上昇、そしてバイブレーション上昇ということなのです。できごとを創るのは、実は思考自体ではなく、思考から生まれる自分の波動バイブレーションがすべてを現実化するのです。

アセンション(波動上昇)とは、自分が発するエネルギーが上がって高次になっていくという意味です。楽しみ喜ぶ気持ち、ときめく心はとても高次の波動バイブレーションなのです。毎日、毎瞬、喜びを楽しんで満ち足りているとき、あなたのエネルギーは、最高に上昇している状態になっています。

「空」は喜び楽しむことを観たくて宇宙を創ったのです。






あなたは観察意識



あなたは肉体でもなければ、A子さんという人格でもありません。あなたはA子さんを担当し、彼女を通じて周囲を観察している意識の側です。あなたも、あなたの家族も、友人も、全員が人間ではない。ましてや、肉体でも、感情でも、思考でもないのです。

私たちは一度も生まれていなければ、消滅することもない、”たった一つの全体意識” なのです。本来あなた自身には ”形” はないのです。まさに真空です。

これを忘れているとき、すべてが深刻過ぎるドラマになっていくのです。今まで、あなたは自分自身のことを人間だと信じ込んできました。だからこそ、シリアスな感情を体験できました。人間だと思いこまなければ、知ることができないものがたくさんあったのです。でも、もう自分たちが人間ではなかったことを思い出す時期い来ているではありませんか。

今こそ、そういう時期なのです。それを思い出していくことで、この人間の肉体にさらに感謝でき、さらに楽しく肉体反応をエンジョイしていくことができるのです。

でも、人間ではないという事実を認めることがいやな方々は、まだ人間だと思い込んだまま、感情のドラマを非常にリアルに体験していくことでしょう。

かなり刺激的で、かなり感情のアップダウンが強いドラマにハマっていくことでしょう。それはそれでよいのです。悪いことでもダメなことでもありません。

でも、各自の思い込みが何であれ、実際のところは、あなたという「空」意識が、人間の反応が一体どういうものなのかをスゴく知りたいと思い、そこを観察しているわけなのです。

感情反応や行動反応(リアクション)を知るためには物理的な現実できごとが必要だから、さまざまなできごとを引き寄せていきます。そして、今も引き寄せているのです。

あなたの肉体はたくさんの感情や思考が通貨するパイプのようなもの。つまり波動バイブレーションの通路です。肉体の中をさまざまなたくさんの波動・周波数が「空」から押し出されて通過するのですが、その波動を ”観察” している「あなた」がいなければ、それらは認識されず、気づかれることもないのです。

あなたという観察して気づく「意識」がシッカリと肉体の中心に入って根づいているから、リンクしているから、いろいろな思考、感情反応、行動反応などの波動バイブレーションを受け取って味わうことができるのです。

悲しいという感情、怖いという感情、辛いという感情、それらの波動を受け取って感じている側が「あなた」です。そして、その感情を湧き出させるような ”思い込み” と ”思考” にも観察の目を向けてください。そうやって、 ”思い込み” に気づくことができたら、それを選択しないことも外すことも可能になります。

今まで、充分に色々な感情を知ってきたのだから、本当にもう充分なのです。それならば、今度からは、味わいたい感情を味わえるような ”できごと” を見たい! と決めればいいのです。シンプルにそれだけです。

あなたは「空」意識。
あなたという「空」は、想像を絶する ”あらゆるすべての情報” を潜在的な状態で含有している意識なのです。

あらゆるすべての情報とは、あらゆるすべての現実の ”種子” のことです。その中のどの種子を外へ取り出して現実的に観察していきたいのか、それは各自の自由意志で決めることができます。

かつて、まだ宇宙も何も物質的になかったころ、あなたという「空」がおのれに気づき、自分を自覚してから、あらゆる ”観察” のために万物の「創造」が開始されたわけですが、その創造されたものや状況を、あなたは好きなように観察していいという自由があるのです。これが個性です。

どのように見てもより、どのように解釈してもよい、どのようにみなしてもよいのです。すべての角度から「空」は観察をしたいからです。たくさんのすべてを知りたいからです。だからあなたのお好きにしてください。

そして、今、あなたの目の前で展開されている現実状況を、あなたは自分が見たいように、観察したいように、すぐにチェンジできるのです。

あなたにとって気に入らない状況であるなら、あなたが心から喜べて楽しめる状況として観察するぞ、と決めるだけなのです。

現状を「イヤだ、イヤだ」と言いつつ、それをもっと違う形で観察したいという決意・いのりの発動がないのなら、そのままを観察し続けるハメになっても文句は言えません。

「こういう状態なんです。辛いんです。どうしたらいいですか?」とよく尋ねられます。逆に私は問いかけます。「で、どうなりたいのですか?どうしたいのです?」と。それを決めるのは本人しかありません。

何か正しい道を歩まなければならない、そんな思いがプログラムされているとき、「どうしたらいいの?」という質問が生まれます。でも、万人向けの正しさなんてありません。あなたの魂が喜ぶ道は他の人とは違うのです。あなたはあなたの自由意志で、観察したいものを決めて、放映して、実感体験して、知っていけばよいのです。自由意志は、より栄えて、より繁栄していくような豊かな現実創造のために使うものですから。だから「~べき」には振り回されないでください。

もし、あなたが女性なら、結婚して子供を作ることは、人生の必須事項ではありません。あなたが男性なら、家族をもって養うことが、人生の必須事項ではありません。必須事項ではないからといって、大切でないと言ってはいません。

ただ、それらの体験は、あなたという「空」が人間を知るための方法の一つにすぎないのだと知ってほしいのです。

多くの魂が、今世は結婚しない、子供を持たない立場を自由意思で選んでいます。この自由意思は、大いなる全体意識「空」の意思です。

今回子供を持たないのは、以前の人生で、人口爆発に貢献するくらい、多くの子供を持っていた体験があるからという理由もその一つです。すでに経験済みだから、今世、子供を持つことを選ばない人もいるというだけです。

良い・悪いという話ではありません。各自のハートの喜びに従って選択をすればいいのです。自分に社会的なプレッシャー、罪悪感、また負け組のような発想を持つことは絶対に必要ありません。



あなたは「空」という自覚ある意識ですが、自分の内側に持っている”すべての豊かな情報”(創造の種子たち)を知りたくて、その知りたい情熱から、知りたい好奇心から、”すべての情報” を自分の外側へ ”光” の粒として生み出しました。そして光の粒が動くためのスペース(外宇宙)をも生み出しました。

外宇宙は、あなたが自分の豊かさのすべてを観察して、”知る” ための時空間です。内なる豊かさを思い出すためのスペースです。自分の内なる豊かさを表現して実感体験する遊び場なのです。ゲーム空間なのです。いのちの発動表現の場です。

この現実空間(外宇宙)は、あなたにとって最高の宝物です。あなたの意図、決意、いのりを表すことができる場として、あなた自らが創り出した光バイブレーションの時空間です。

「知りたい!知りたい!知りたい!」あなたの内なる豊かさへの情熱、これがすべての発端であり、動機であり、すべての豊かさを創造するきっかけとなったのです。その強い衝動、知りたがる情熱は、あなたの自分自身への”愛”とも言えます。そして今現在も、あなたは内なるすべてを知りたいから、あらゆるすべての豊かさを外側へ ”観察” し続け、すべてに気づき続けていこうとしているのです。

これが、あなたという「空」意識の本質です。豊かさへの好奇心たっぷりで、冒険心に富んだ意識なのです。

次々と新たに新しいことを知ってみたくて、常に気づき続けていこうとしています。

この原点を忘れてしまうと、一体自分が現実の生活の中で、何をしているのかがわからなくなって、不安になり、似たり寄ったりの漠然として現実しか作れなくなります。

あなたという「空」意識は、強烈な意図エネルギーの集約されたものなのです。そのあなたが意図し決意すると、あなたの頭が追い付かないほど速く、 ”光” は動き、その動き方(波動・振動・周波数・バイブレーション)次第でいろいろな個性あるオリジナルなものになっていきます。直観も、思考も、感情も、想像ビジョンも、イメージ画像も、そして物質・物体も、全部が光の周波数の違いだけです。

あなたは、いつだって、さまざまなものや状態をすべて「実感体験したい!(知りたい)」と思っています。そのために状況やものを周囲に放映して作っていくのです。そして、あなたは、光から作られたさまざまなものの周波数やバイブレーションを観じて、”知る”ために、あなた自身がその中心で意識を覚醒させて存在しているのです。

「それ」を観じて知るには、あなたという意識が「それ」の中に入っている感覚が、常に明確でないとダメなのです。意識し、覚醒し、気づいている必要があるのです。「それ」のバイブレーション自体の中心にいることで、その創造した波動を実感体験できるからです。

そして、あなたは現在に至るまでに、実にたくさんの「あれ」や「それ」や「これ」の中に入り込んで、それらを実感体験してきました。それがいき過ぎて、一定の波動バイブレーションだけになじみ過ぎてしまい、それ以外のバイブレーションを忘れてしまうほどに。

鉱物も、植物も、動物も、いろいろな神々や天使も、幽霊も、妖精も、ドラゴンも、宇宙人も、星々も、ペガサスも、なんでもかんでも実感体験を楽しんで、”知って” きました。

だから、魂にその実感データを記憶として刻むことができ、それをいつでも思い出すことができるのです。

そして、今やあなたという意識は、”人間ボディ”  にこよなく愛と興味を持ち、人間ボディの中に意識を保つことで、その生命体のありようを実感体験しているのです。あなたという意識が、人間ボディが持つ「感情機能」や「身体感覚」を限りなく「知りたい」と思ったからです。

感情がいったいどんなときにどう動くのか、そしてその結果、どういう振る舞いをするのか、とても知りたかったのです。「あなた」は肉体エゴを観じて知りたかったのです。まず、恐れに満ちた動物的な人間としての側面を、そしてやがては ”神人間” としての本質に戻っていく(アセンション)までを観察しようとしたのです。

最初に、あなたという空意識は、最高の創造作品である ”神人間ボディ” にさまざまなプログラムや概念や情報を入力しました。自分が入力した側(神の側・「空」の側)であることを忘れるようなプログラムも入力しました。ですからあなたは、あなたを忘れて肉体エゴになっていきました。その結果起こってくる実に多種多様な ”ボディの反応” のバイブレーションをこよなく実感したかったのです。

悲しくなるためには、悲しくなるような考え方(概念)をプログラム入力しました。
悔しくなるためには、悔しくなるような考え方(概念)をプログラム入力しました。
うれしくなるためには、うれしくなるような考え方(概念)をプログラム入力しました。
怖くなるためには、怖くなるような考え方(概念)をプログラム入力しました。

そして、そのプログラムのとおりに現実が作られ、あなたはちゃんと感情を実感体験できたのです。

めでたし、めでたし。ただ純粋にそれだけ。ただ単純にそれだけでした。

あなたという「空」意識にとっては、何かが特に価値があるとか、何かが特に重要なことなのではなく、あらゆるすべてが同等に貴重であり、価値があり、すべてが知りたい興味の対象でした。つまり、あなたはすべてに価値をおき、それらを同等に愛しているのです。

これが原点です。この原点の動機を思い起こせば、あなたの過去のすべての体験が「ただ実感体験してみたかっただけ」だということがわかるはずです。「やってみただけ」なのです。「感じてみただけ」なのです。「考えただけ」なのです。「信じただけ」なのです。「ダマされてみただけ」なのです。

裏切ってみただけ、怒ってみただけ、落ち込んでみただけ・・・。それ以上でも、それ以下でもないのです。だから、今後はもう深刻になる必要も、落ち込む必要もありません。いつでもこの原点を思い起こせばいいだけです。

あなたは、あなた自身をもともと知っています。すべてがあなたの中にあったのですから、すべてを知っていて忘れただけだから、あとは思い出すと決めればいいだけです。そのとき必ず、”知っている”を前提にして「思い出す!」と祈ってください。「自分を知らない。わからない」を前提にしたままでは、思い出すことはできません。





情報は画像



あなたの中には、たくさんの情報が「画像(映像)」の形としても保管されています。それらは、たんなる情報データにすぎませんから、あなたが意識を向けなかったら、あなたが興味を持たなかったら、その画像は活性化せず、起動せず、あなたはそれを現実として見ることはありません。

各自の中にどんな画像があるにせよ、自分の中で光って活性化した画像を意識するときに、現実が作られていくのです。たとえば、あなたの性格・人格に関するものも、画像イメージという形で保持しています。よく日常会話の中でも、「私ってこういう人なの」とか、「あの人ってそういうところがあるね」などと言うことがあります。

これは、まさにあなたが、自分の画像を活性化して、その中身を見て観じているという意味です。「自分はこういう人間だ」という言い回しをするときは、あなたという「空」意識の中にあった特定の性格を「まさにそうだ!」と信じてしまうような画像(情報)を、たまたま選んだだけなのです。他にもたくさんの画像の情報があるにもかかわらず・・。

「犬が大好き」という画像、そこがあなたによって意識されて光ると、散歩中の犬が近づいてくるでしょう。
「私はOLです」という画像、そこがあなたによって意識されて光ると、まわりはそのように扱うでしょう。
「私は戦いたい」という画像、そこがあなたによって意識されて光ると、誰かがケンカをしかけてくるでしょう。
「私は不幸だし、お金もない」という画像、そこを意識していると、宇宙や世間がそのように扱ってくれるでしょう。

あなたの中の画像が周囲の現実空間に放映されるからです。

あなたという「空」の中には無数の画像があるのですが、全部がいっぺんに光って活性化するわけではなく、たまたま、あなたがそのときに選んで光った画像情報によって、自分の行動や感情反応が引き起こされます。無意識だと、そのまま画像情報に支配されていくことになりますから、あなたは常に気づいていてください。

自分の内面にきちんと意識をおき、きちんと観察し、気づき続けていくと、画像が光ったことにも気づけますし、自分が画像に反応していることにも気づけて、その画像から離れることができます。

ある特定の画像・映像があなたに強い影響を及ぼしているとき、あなたが画像にコントロールされて踊らされているということになります。

オーラの中で画像が光ると、あなたは感情反応を起こし、そこに意識を向け続けているうちに、どんどんエネルギーが溜まってふくれあがっていきます。最後には、あなたのオーラも身体も、その画像によって占拠されたようになっていってしまいます。自分が画像を使う側なのに、画像によって支配されてしまうのです。

たとえば、あなたが幹事となって二次会を主催したにもかかわらず、たった一人しか参加してくれなかった場合、あなたの中で、「ほかのみんなは、私のことなんかどうでもいいのね」という画像が光り出すかもしれません。友人たち各自には、たまたま別の用事が入っていただけかもしれないのです。そのような勝手な画像にあなたが浸っているうちに、画像にはあなたの意識エネルギーがどんどん溜まって大きくなっていきます。

そして、「世界中の誰一人として、私のことなんか愛してくれない」というもっとひどい画像を選んで、そこへ浸りきっていくかもしれないのです。こういうときのオーラは、イキイキしていなくて悲惨な状態になっています。

この画像はその後も光り続け、ほかのどんな画像よりも強力で優勢になっていき、その後の人生にあなたが喜びを見出すことをさせてくれません。別のチャンスがやってきて、ほかの誰かから誘いを受けても、「私なんか愛されていないから、どこにも行かないほうがいい」という行動を選択するハメになってしまいます。

いったん強く光った画像は、あなたが無意識のままに浸りきっているあいだは、勝手には沈静化してくれません。

「たんなる画像データ」なのだとあなたが自ら気づいて、画像から意識を離すことが必要です。「こうあると楽しい!」と思えるような、もっとステキな画像を意識してください。

画像に浸りきって、悲劇の主人公であり続けるようなゲームは、もう充分やってきましたから。






「今この瞬間」をパーフェクトに



あなたが自分の「過去」や「前世」に意識を向けたり、そちらに気持ちが向くとき、あなたの ”今” の肉体の中に過去の画像や、前世の画像(映像エネルギー)が活性化してくることになります。

これらの映像・画像もすべては「空」という全体意識の中にある光情報なのです。

このような自分の過去のことや前世の画像に魅入られて、しょっちゅう過去と前世ばかりを気にしていくと、それが今世の「今」に影響を与えるようになってしまいます。どんな過去世の偉人でも、どんな古代の叡智でも、それらは済んでしまったことです。それらを土台として、「今」新たな叡智を生み出していけばいいのです。

過去や前世のオーラが今のあなたの肉体の中で広がっていくにつれて、あなた自身は過去や前世に戻って生き始めることになります。過去の領域、過去の次元、過去の時空間、過去の現実状況をあなたの周りに開き、広げていくようになるだけです。悪いことではありませんが・・・・。

過去や前世を再現しようとし始め、いろいろと「今」に影響をおよぼし始めます。過去や前世で知っていた人たちを引き寄せ、その人との間で昔に起こった人間関係を再体験しようとし始めるのです。

「あなたって、私の嫌いな父親みたい」ということを父親以外の人に言いたくなったら、あなたの中に父親との過去の画像が残っていて、その画像の中に、あなたによってまだ統合されていない感情エネルギーが残っているのです。そのせいで、全く関係ない人との間に、父親との葛藤の関係性を再現し始めてしまうのです。だから、気づいた時点で、すばやく感情エネルギーを受けいれてあげてください。

それなのに、感情の受け入れや統合をせずに、ただ過去の傷ついた画像メモリーをたびたび思い返していくだけでは、今のあなたの肉体の中には過去のエネルギーばかりが優勢になっていくだけです。しょっちゅう思い出すことで、過去の古い画像の中には、あなたの意識のエネルギーがドンドンたまっていき強くなって、「今」のあなたに強い影響を与えていくようになっていきます。

あなたがそうしているのです。

まさに、あなたがフォーカスすること、あなたが意識を向けることが、時空を超えて再び強く起こすハメになっていきます。

私も今まで、「前世が今の人生に影響を与える」という概念を、スクールなどで習ってきたまま単純に信じていましたが、「前世が今に影響している」というよりも、「今のあなたの意識が前世に影響を与えて、強めて開いていく」のです。過去や前世をもう繰り返す必要がないと思えたら、そこから意識を切り離して、限りなく「今この瞬間」のあなたにフォーカスしていってください。

あなたが前世のエネルギー場を「今」に持ってくることは、ある意味、退化・退行するのと同じです。

今のあなたよりも、確実にスピリチュアルなことがわからない時代であり、科学も未発達、物資も少なく、寿命も短く、病気は多く、身分制度も強かった。そういった昔のエネルギーである「前世」を再現して生きていても無意味です。もちろん、悪いことではないので、繰り返しても問題はありません。人によっては徹底的に繰り返すことで、逆にきっぱりと終止させることができるかもしれません。

昨日や過去や前世にものすごくこだわり、生き続けている人がいます。去年のエネルギーのまま生きていたり。でも、そういう人たちのオーラは、イキイキとしていなくて、希薄で、動きも鈍いのです。

過去の画像にあなたのエネルギーが吸い取られていき、「今この瞬間」にまわすエネルギーがあまり残らなくなっていきます。新たな「今この瞬間」を構築するエネルギーが不足し、今の肉体によって ”喜びあふれる体験” をしようとしたのに、それができなくなるのです。実現力が減るのです。引き寄せ力がダウンするのです。

あなたの意識を「今この瞬間」という現在に戻してください。本当に ”今” 実感して体感したい内容を、”今” すぐに意識していってください。「今」以外を意識する必要がないのですから。「今」だけに意識をおいて、肉体のエネルギーを新鮮な今のものとしてパーフェクトにしておいてください。

そして、あなたの意識のフォーカスを、よりうれしい方向へ、楽しい方向へ、変更していってください。




意識の拡大



今までの古い考え、恐怖や不安体験からの発想、それはある意味で大切な想念でもあります。それはけっして抹殺されるべきものではありません。肉体を使って体験したのですから、メモリーデータとして残ってよいのです。データ情報として残っていくため、それを選ばなくてもよい自由も増えていきます。でなければ、また無意味に繰り返すだけです。

その意味で、恐怖体験からの発想や反応行動、それらに対してもちゃんと感謝してもよいのではないでしょうか。先祖や先人たちから受け継いだ「生き抜く知恵」だったのですから。

人生すべてに関する古い信念の一部が、今はもう役に立たなくなっていると認めることは大切です。人生についての ”広くて新しい理解” が今もたされ、その理解が地球上で幅広い新たな生き方を開いてくれるのだと理解することは大切です。

その理解が私たちの内なる真実(ハートの真実)の叡智にピッタリと当てはまる感じなら、それを取り入れることで、私たちが拡大された体験に向かうことができるのだということを知るのは大切なことです。

でも、古い信念体系のすべてを否定することはないのです。否定せずに、新たなものを追加すればいいのです。付け足せばいいのです。

それらをもう役に立たないからといって、全部切り捨てろということではないのです。それらを全部破壊し、消去しろということでもないのです。”破壊することなく拡大する” だけなのです。新しいものへと拡大するには、古い土台がなくては拡大できません。古い信念体系には、残しておきたいものもたくさんあるはずです。

拡大することは、もっと向こうへワープすることですが、必ずしも「古い信念とは全く別」ではありません。でも、必ず、古きものよりも「大きく拡大・成長・発展」しているはずなのです。

新しい信念体系は、古いものを根底から否定するのではなく、古きものと新しきものをブレンドすることになります。今までの信念、親や先祖からの古い信念、それらを全否定すれば、今まで教えられたことや実行したことを全否定することになってしまいます。先祖が間違っていたことにもなってしまいます。さらには、先祖をまねてきた私たちの過去も間違っていたことになってしまいます。あなたや全人類の経験のすべてが間違いだったことになってしまうのです。しかし、本当は間違いということではありません。

あなたという「空」は、ただただ全部を実感体験して知りたかったのです。何もかも知りたくて、その実感体験のために宇宙空間を創ったのです。

過去のあやまちを繰り返さない・・・。それは大切なことです。でも、だからといって、繰り返すことが真の「あやまち」なんかではありません。

やってみなければわからなかったし、経験もできず、「知る」ことはできなかったのです。どんなことにせよ、「あやまち」だったと言う必要もなく、それを糾弾する必要もありません。その経験からの理解を拡大すればいいだけです。

「間違い」や「あやまち」なのではなく、たんに恐怖や保身から、各自が選択をしたというだけのことです。理解が少なかっただけです。そして、選択肢の情報自体が少なかったのです。もっと愛に満ちた情報や考えが必要だっただけです。



2018-06-20 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ものを欲しがる気持ち

gadgets-336635_640.jpg

ただ存在するという歓喜



「やった~~!!!」という刺激的な激しい感動も、ある意味では歓喜といえば歓喜なのでしょうが、条件付きの歓喜ということで、これは薬物中毒みたいなものです。

今までできなかったことができたり、わからなかったことが腑に落ちたり、目標や願望が達成できた瞬間など、本当に感動するし、感激するし、うれしいものです。

これもすてきな体験です。
人は、この手の感動が欲しくて努力するし、奮闘します。
でも、まだ”他にも歓喜がある”ことも知っておいてください。

ある方が、「すべての事柄の価値が均一だということが腑に落ちてしまったら、何だか、今後やってみたいことなどが何もなくなってしまった感じがします」というようなことをおっしゃいました。

でも、そこからが本当に自分の価値観でのスタートです。
今までは、社会の価値観、親の価値観で生きていたからです。

他人の人生スケジュールや価値観を幼い頃から刷り込まれ、「あなたは、このように生きるとすばらしい人生になるよ」と教え込まれてきたのです。すごく自然に、すごく穏やかに、すごく巧妙に仕組まれたワナなのですが・・・。

余りにも普通に刷り込まれ、プログラムされるから、多くの人はワナだと疑うこともなく、無意識にそのように生きるパターンになっていったのです。

でも、意識に拡大し、すべての価値が同じだということが腑に落ちていくにつれ、いったん心の中が白紙に戻るのです。

やっと、他人や社会のプログラムがほどけて、まっさらな自分に戻ります。ゼロポイントの誕生です。
「空」意識(神意識)の誕生です。

そして、何も特にすることがない・・・この感覚を受け入れて、楽しんで味わっていくと、そのうち条件なしの歓喜がわかってきます。
ただ、ここに存在しているだけで、それだけですでにもう十分に至福だってわかってきます。

それが全身で深く感じられてきます。
これこそが本当の豊かさなのです。

そうしたら、あとは何が起こってきたとしても”おまけ”です。”ギフト”です。

どんなことも”おまけ”なんだから、文句を言う筋合いではないわけです。それが腑に落ちたとき、初めて、他人の価値観を”自主的に”選択することさえもが楽しくなってきます。

今ここに豊穣の”意識”として存在する歓喜、ただ存在するという歓喜、この本物の歓喜という豊かさから今後のすべてが生まれていき、さらに繁栄する新しい時代が生まれるのです。





ミクロとマクロの統合1



あなたの意識によって、あなたの内なるミクロ鋳型をマクロに拡大放映すること、このことだけが常に起こっています。
ミクロをマクロにするということは、物理化し、現実化し、具現化し、創造し、願望成就することとイコールです。

あなたの内なるミクロ鋳型をマクロにしたものを時空間という名で呼び、その時空間のプロセス場でさまざまな楽しい体験をしていくことが叡智の旅です。

概念・想念・アイデア・夢・願望というミクロ鋳型をマクロ化(物質化)することが、あなたが「今ここ」にいる理由です。

ヒラメキやイマジネーションや妄想だけで、なんとなくフワフワ生きていては、あなたが「今ここに肉体を持って存在する」意味がない。
想念のチャネリングだけで生きていては意味がありません。

これだけでは、あなたは半分しか生きていないことになります。
マクロ化していないうちは、完全に「物理次元を知った」とは言えないのです。

物理次元が一体どういう仕組みになっていて、どういうふうに構築されていくのか、理論的(左脳的)にも感覚的(右脳的)にも真に腑に落としていかなければ、宇宙という物理次元を開いた意味がありません。

肉眼では全く見えないミクロの世界と、見えるマクロの世界の境界線は何なのでしょうか?
実は、ミクロもマクロも同じパターン、同じ型でできています。フラクタル構造、相似形なのです。

そして、本来、そこに分離や境界線は全くなく、あなたが意識することで、ミクロが拡大するだけのことです。
小さな波紋が大きな波紋になるだけです。

私たちの区分意識(分離意識)が、境界線を創っていただけです。
そういう意味では、ミクロの世界こそが立派な真の現実なのです。

今や、私たちの意識が拡大していく過程において、「見えない領域」と「見える領域」の境界線がゆるみ始めてきています。
「見えない世界を知りたい!」と思う気持ちが、その境界線を崩していくようになったのです。

「現実化の仕組みを知りたい!」と思う情熱的な意思が、どんどんミクロの姿を明らかにさせ始めたのです。
そうすると、マクロ現実のモトになっていたのが、ミクロ粒子だったことがわかってきました。

マクロ的な3D現実は、すごく固くてゆるぎないものだと信じていたけれど、実は、とてもユルものによって成り立っているのだとわかってきました。

そうなると、今までのように固い現実ではなくなり、現状が簡単に変化することが普通にドンドン起こってきます。

だから、目先のここだけが自分のステージだとドッカリあぐらをかいていると、そのステージはすぐ崩れてしまいます。

今、物理次元はそれくらい進化しています。
そういう意味では、ものごとを非常に自由に選択でき、自由に設定しなおすことが簡単になってきています。

だから、単なる人間人生で終わってしまうのは非常にもったいないことなのです。

人生のメインテーマは、神である自己を知ろうとすること、知るための体験に情熱を持つこと、それが最も速くすべての願望を成就できる近道なのです。
あなたは神スピリットとして生きていくかどうか、そう決意するかどうかです。

必ずそこに到達するようにセットしてきていますが、自由選択ですから期限を延ばすこともできます。
ただ、そうなれば自分の可能性から逃げることになります。





ミクロとマクロの統合2



多くの方が「豊かになりたい(裕福になりたい)!」という望みを持たれます。
では、いったいなぜ豊かになりたいのですか?

「アレコレとやりたいことができるから!」
では、なぜアレコレとやりたいのですか?
「・・・まあ、やりたいからやりたいとしか言えない。そういう思いが湧くから」

では、なぜそういう思いが湧くのでしょうか?
そもそもどこから湧くのでしょうか?

そして、アレコレとやりたいことができるような豊かな状態を目指すとして、それはどれくらいの金額があって、どれくらいの状態を目指すのでしょう?

5億円ですか?あるいはもっとでしょうか?

しかも、本当にそのように豊かになったときに、それでもまだアレコレとやりたい気持ちはキープされているものでしょうか?

このように「なぜ?」を連発していくと、案外何もわかっていないことに気が付きますし、具体的に明確に何も意図していないことにも気が付きます。

具体的な豊饒のカタチや、お金という付属的な「条件」は、「○○を体験したい自分」ということが先に決まっていないと無理なのです。
単に、豊かさやお金という条件の言葉だけでは、あまりにも望みが漠然とし過ぎています。

これを得たら○○を体験したい自分、「では、そうなれたら次はどうしたい?」「そして、さらに次は?」「そのまた次はどうありたい?」

このように、なるべく拡大して次へ次へと大きく夢のテーマを追及し設定してみなければ、その間の細かい願望や夢は実現しにくいのです。
もしかしたら、逆に、テーマを拡大していく中で、そこに至るまでの途中の願望はどうでもいいことだったと気づくかもしれません。

一度でいいから思いっきり「究極の自分自身」を画像的に描いて意識してみてください。
究極の自分を意識したとき、どんな感覚になるでしょうか?
次々と欲しいものをいちいち考えているよりも、もう全部手にしてしまっている「究極の自分象」を意識してみてください。

地位も名誉も財産も人脈も、すべてを手にして体験し尽くしている自分です。この最高に満ち足りた状態のフィーリングを意識して感じることが「ミクロの領域」なのです。

あなたの周囲にあるすべてのモノから愛されている「愛され感」を味わうことも同じ「ミクロの領域」です。

この究極に満たされた感覚をちゃんと感じてあげると、すぐに満たされた「マクロの現実領域」がやってきます。

夢(ミクロ)と現実(マクロ)を隔てていた”あなた自身の意識の壁”が取り外されて、ミクロとマクロの分離がなくなり、簡単にストレートに夢が現実として放映されるようになってきたのです。

「今ここ」の物理的肉体がミクロと同じ波動を意識することが、マクロ化を推進する秘訣なのです。
いつも何かが枯渇している感じ、いつも願望への不足が残っている感じ、こういった”欠乏感”のミクロ領域からは豊かなマクロ現実を放映創造できません。

貪欲に究極までやり尽くさないと、「もう、本当に何もなくても至福だ」という境地には至りません。
そして、そのステージに至ったなら、またその境地ならではの夢との願望がちゃんと湧いてくるのです。

スピリチュアルな道とは、欲や夢の実現化の道なのです。
願いが実現することを「味わっていくプロセス」や「展開の仕方」の中にこそ、”叡智の旅の意味・意義”があるのです。

神なる自己であるあなたは、ゴールそのものとはとっくに内側の「虚空」で知っているのです。体験済みです。
ですから、ゴールがどのようなサプライズで起こってくるのか、その物理的な実現化の「プロセス・手段」の方に興味があるわけです。

物理的な実現化という「願望ゴール」は当たり前のことでしかなく、そのゴールの中に含まれている「プロセス展開の仕方」を観察することのために、この現実宇宙が創られています。






ものを欲しがる気持ち



何が具体的なモノを欲しがるとき、それが物であれお金であれ、「何でこんなものが欲しいんだ?」と自分に無意識の問いかけを入れる形で批判・非難をしていないでしょうか?

向上心、目標、精神性を高めるものへの欲求に対しては「何でこんなものが」というジャッジが入らないから、結構自分に許可を下ろしやすいのです。

一般社会プログラムにすぎないのですが、精神性を高めるものに対しては、願望の許可を下ろしやすいのです。
でもそのくせ、意識の成長や拡大が進むかというと、そうでもありません。

「精神的に立派であるべき」という動機で何かを欲した自分と、大したことがないようなモノ、ムダなモノ、必要でないものを欲しがったときの自分とは、価値においては同じなのです。

むしろ、「べき」で欲しがったときの方が要注意です。
純粋な動機で「これ欲しい!」という好奇心、興味、それを知りたい情熱、そういう動機でないときの方が要注意。
純粋に素直にストレートに「欲しい!」という思いのなか、よくチェックしてみてください。

「物」の方を欲しいと思う方が、純粋でピュアな気持ちだったりするのです。
物理的宇宙を創ったものは、モノ(お金も含む)を体験したかったからであるし、味わいたかったから。
この根源の純粋な欲求が叶えられず体感できないなら、うれしい豊かな気持ちは生まれません。

そういう自分に許可をあげていないなら、精神的なものも物理的なモノも何も手にすることができません。

実際に買う買わないは別として、欲しがっている自分にまずはきちんと許可をあげてください。
お金に対しても、まずは自分が、本当に欲しがっていることを認めてください。

そして、現実(マクロ的な結果)を操作してみたり、いじくりまわしてお金を得ようとすることは、実はものすごく「遠回り」をしていくことだと知っておいてください。

マクロなアプローチは、時空間が大きいものに対処することだから、時間もかかり、肉体もたくさん動かすことになるのです。
ミクロなアプローチは、意識の段階で素粒子にアプローチすることだから、時間も早く、肉体も楽です。

意識の向きを変えるだけで楽に現実を創る時代に入っており、引き寄せ念力や異常な執念や肉体を酷使してお金を創る時代ではなくなってきました。

どこかで、あなたは「楽をすることはいけないことだ」とプログラムされていませんか?

「楽をしているとロクな人間にならない」と信じ込まされていませんか?
「楽をしている姿はバカっぽくて滑稽だ」と思い込まされていませんか?
だから、がんばっていない人や、努力しない人や、ちゃんとできない人に対して批判の気持ちが湧きます。

がんばるな、努力するな、きちんとするな、そういうことを勧めているわけではありません。
必死になって死に物狂いでがんばるのは、そうしないと手に入らないと信じているか、それがすてきなことだと信じているか、好きでもないことに取り組んでいるからか・・・・。

しかしトキメクことを努力するのは楽しいことですから、悲壮感も苦しさもないはずです。

実は、高い次元になればなるほど、すごく中立で自由でユルユルです。
七福神さんたちなど、人間的な観点から言うと、実にのんきな気の抜けた表情で、なんとなくだらしない格好をし、のんきな歌を歌っているのです。もちろん、七福神をバカにしているのではありません。

本当にすごく自由で、誰の目も気にせず、自分の気の向くままに存在して遊んでいるのです。

最高に裕福で、心も満ち足り、何も素粒子の上で欠けていないことを知っているからです。

そういう象徴の神さまなのです。
「神さまなのだから、キッチリしているべき」は、人間サイドのプログラムです。

私たちは、「生きるために必要ではないモノ」、実はそういうモノほど本当は欲しいのです。

必要なものを買うのは誰でも当たり前だから、それ以外の余計なものが欲しいのは豊かさの証しであるし、「空」はそこを知りたいからです。
この余計なモノは各自の個性によって違います。

今すぐ手に入れるかどうかは別として、欲しがる自分を批判しないで、「あ、欲しいのか!じゃあ手にしてみよう!今すぐではなくても必ず手にしよう」と許可してください。

「余計なものを欲しがってはいけない」はコントロール・プログラムです。その洗脳によって、こんな自分はダメだと葛藤し卑下することになっていきます。

なぜ、こんなにも欲しいのでしょうか?
それは生命力が強いDNAを持っているからです。

人生をこよなく愛して楽しんでいるような貴族に多いエネルギーです。
豊かなものが大好きで、湯水のようにお金を循環させます。

「手に入れたい!そして経験したい!」というDNA情報がONになっているからです。
そして、美と豊穣を楽しめる「才能」がなかったなら、余計なモノを「欲しい」という感覚は生まれません。


2018-06-12 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

在ることを愛し、愛することに在る

heart-700141_640.jpg

在ることを愛し、愛することに在る



日々の暮らしを”生きることとの恋”に変える、パワフルなワークを紹介しましょう。

「在ることを愛し、愛することに在る」ことで生きることの恋人になるシンプルな方法を提示しましょう。深い自己に目覚めるために、そして生きることの冒険に慈愛を持って取り組むために、ワークを試してみてください。

この論理を超えた「在ることを愛し、愛することに在る」ワークは、ここまで紐解いてきた新たな目覚めの方法の”鼓動する心臓”であるとも言えます。形態は私のオリジナルですが、本質的な内容は新しくありません。これはさまざまな教えの中心にあるものです。

チベットの賢人ミラレバは仏教の本質についてこう語っています。


空を知ること。
慈悲の心を持つこと。



自分たちの本質は広大な気づきの存在であると知り、すべてはひとつであると深く知り、それらを愛していると知る。そして慈愛を持って生きることで、その愛を表現するのです。

キリスト教にも同じ本質を共有するメッセージがあります。「最も偉大な律法は何ですか?」と聞かれ、イエスはこう答えました。


●ハートのすべて、魂のすべて、精神のすべてで神を愛する。これが最初で最大の律法だ。二つ目は、他者を自分自身のように愛することだ。


最初の律法は神を愛すること、つまりあなた自身を存在の神秘に浸し、気づきの根源のワンネスを意識することです。ふたつ目は、自分自身のように他者を愛することです。なぜなら、ワンネスに目覚めると、他者もまたあなた自身であると知るからです。ふたつの律法が似通っているのは、それらが「在ることを愛し、愛することに在る」というメッセージを孕んだ、スピリチュアルな旅においてお互いを補完し合う論理を超えた視点だからです。




在ることを愛する



まずは”在ることを愛する”ことからこのワークを始めてみましょう。”在ることを愛する”方法を「ワンダーする」、「入る」、「在る」のプロセスとして説明してきました。これらはすべて、在ることに対する愛を深めるためのワークです。まず初めにこれらのステップを一つひとつ試してみてください。ワークを重ねること、これらは意識においてひとつの動きとして同時に起こるようになるはずです。以下が詳細については既に触れた”在ることを愛する”ワークです。



ワンダーする



表面的にしか目覚めていない時に深く目覚めるためのシンプルな方法は、ワンダーすることです。驚きを持って世界を見つめ、存在することの息を呑むような神秘を意識し、生きることとは何なのかまったく知らないことを認めます。深くワンダーすると、物語から抜け出してこの瞬間の神秘に辿り着きます。世界がどれだけすばらしいかを知ると、世界に在ることを愛するようになります。




入る



ワンダーの体験は、体感の直接性に入り、見て、聞いて、触れることを強く意識することで強まります。一番シンプルなやり方は、呼吸の味わい深い感覚に注意を向けることです。体感に入ると精神は落ち着き、感覚的に生き生きとするようになります。この瞬間を体感することがいかにすばらしいかを知る時、在ることに対する愛は深まります。




在る



「入る」ワークを経ると、今この瞬間に在ることができます。経験のすべてを目撃しながら、見られず、聞かれず、触れられることのない本質に注意を向けてみましょう。その内に、経験が夢のように立ち上る、広大な気づきの存在であることを意識するようになります。気づきの根源の場とひとつであることを深く知るようになるのです。存在の神秘とひとつであると深く知る時、根源的で、無条件で、際限のない「在ることの愛」が自然に立ち上ります。




愛することに在る



”在ることを愛する”やり方を簡単に見直したところで、”愛することに在る”ことのワークを試してみましょう。これは生きることを通じて愛を表現することですから、いつでも試すことができます。ここでは、”愛することに在る”ことを実践するための4つの基本的な方法を提案します。あなたの意識の状態、そしてあなたの人生という物語のどちらも変容させるワークです。

まず”在ることを愛する”ことを、次に、”愛することに在る”ことを伝えることで目覚めのパラドキシティにアプローチするのは、深い自己を意識する時、愛することはあまりに自然だとわかるからです。けれど逆の順番で目覚めにアプローチすることもできます。”愛することに在る”ことを実践する時、私たちは”在ることを愛する”のを知ります。

私にとっての偉大な師はスピリチュアル・マスターではなく、私自身の母親です。母が世界中の哲学的叡智を学び尽くした賢い哲学者だからではありません。母にはそんな時間はありません。母は周りにいるすべての人に自分自身を無条件に捧げています。母は皆を愛し、皆は母を愛し、母は人生を愛しています。

母は、85歳で、発作や三度の癌にも負けず、エネルギーに満ちています。愛によって力を与えられているからです。母は自然に”愛することに在る”ことを実践し、そして”在ることを愛する”自分を見つけています。母は愛することを愛している、つまり生きることを愛しているのです。

秘訣はシンプルです。問題をつつき回すのではなく、人生の流れに身を委ね、他者を助けることのできる道を探すのです。もちろん完璧ではありませんが、自然に、何も期待せず、日常的に愛し、訪れるすべての場所に善きことを運ぶ。いつか母のようになりたいと思うのです。私にとって生きることの恋人のモデルは母です。





世界を愛する



”愛することに在る”ことをどのように実践できるでしょう?簡単な始め方は、直接的な経験に愛とともに入り、あなたを取り巻く世界を愛することです。ヒンドゥー教の賢人ラマナ・マハルシはこう言っています。


●”自分”の経験は、唯一愛である。愛だけを見、愛だけを聞き、愛だけを感じ、愛だけを味わい、愛だけを嗅ぐ。それが至福だ。





「わぉ!」のワーク



日々の暮らしにおいて、世界を愛することで、”愛することに在る”ことを実践するためのいくつかの方法を紹介しましょう。

●歩いている時、足が大地に触れる感覚に入ります。大地とひとつであると感じながら、大地の上を歩きます。愛とともに大地の上を歩きます。そうすると、ただ歩くことと、愛とともに歩くことには、経験的な違いがあることを発見するはずです。

●愛とともに世界を診て、生きとし生けるものと分離しながらもひとつであることを意識します。そうすると、ただ見ることと、愛を持ってみることには経験的な違いがあることを発見するはずです。

●愛とともに世界を聞き、生きとし生けるものと分離しながらもひとつであることを意識します。そうすると、ただ聞くことと、愛を持って聞くことには経験的な違いがあることを発見するはずです。



愛から行動する



”愛することに在る”ことは、愛から行動することです。生きることの挑戦に慈愛を持って応えるのです。時間とエネルギーに寛大になるのです。『不可知の』雲では、こう述べられています。

●それ自体が与えられなければ、愛は愛ではない。

”愛することに在る”ことは、献身的であることです。他者のために自分自身を捧げるのです。世界に奉仕するのです。マハトマ・ガンディーはこう言っています。


●人は自身を神へと失う時、生きとし生けるものに奉仕していると気づく。それはその人にとっての喜びとなり、創造となる。神の想像に対する奉仕において、決して疲れることのない新たな人となるのだ。


”愛することに在る”ことは、人生に最も深い叡智をもたらし、世界をより良い場所にすることです。チベット仏教の師チャグダッド・トゥルク・リンポチェはこう言っています。


●あなたの本来の性質を見つける時、そこにあると知らなかった優しさと慈愛の源を見つけるはずだ。本来備わっている、この知恵という精神と慈愛において、他者に対し真に貢献することができる。



”愛することに在る”ことは、生きることの挑戦において愛こそが私たちを運んでくれると信じることです。困難に直面した時、私が繰り返す言葉のひとつは「愛はいつでも道を切り拓く」です。わたしの経験では実際にそうなのです。ジレンマが何であれ、そこに愛をもたらせば、問題は次第に溶けてなくなります。時として困難に直面することもありますが、そのような時には愛が私を支えてくれると信じています。私を他者から分離するバリアを愛が溶かしてくれるのです。愛することを学ぶ旅において、愛はいつも私とともにあるのです。



「わぉ!」のワーク



●今できる愛に満ちた行いは何だろう?

●この状況に、どうやって愛をもたらすことができるだろう?

●この困難において、どうしたら最上の自分を表現できるだろう?

●奥深い叡智を、どのように表現できるだろう?


安易な答えや他者が好み層な解答を探してはいけません。慈愛を持って行動するための美しい方法を見つけてください。





他者を愛する



”愛することに在る”ことを実践することは、他者を愛することです。出会うすべての人にハートを開くのです。誰が愛に値し誰が値しないかを判断することこそが、愛の自然な流れをせきとめると理解するのです。神秘に自身を浸し、こうした判断を溶かすのです。するとそこには、愛だけが残ります。

深い愛で誰かを包む時、相手が好きだからそうするのでも、見返りが欲しいからそうするのでも、倫理敵に正しいからそうするのでもありません。理由なく、愛するのです。私たちは無条件に慈愛に満ちています。愛のために、愛するのです。それが最も深遠な性質を表すための最も自然な方法であるから、愛するのです。愛さずにはいられないから、愛するのです。

”愛することに在る”ことは、相手が自分にどれだけ親切であるかは関係なく、世界がもっとたくさんの優しさに満ちるように、優しくあることです。老子はこう言いました。

●善きことに善くあり、悪しきことに善くある。なぜなら善くあることは善いことだからだ。


”愛することに在る”ことは、欠点だらけの人間性を謙虚に認め、そうすることで他者を許すことです。すると、私たちが共有する本質的存在を知り、皆が共有する人間的な脆さに対する慈愛を持つことができ、すべての人にとっての最善の状況を望むようになります。

私たちは人生の困難な課題に向き合い、無数の矛盾と内なる戦いを繰り広げる人々にいつも囲まれています。古代の哲学者フィロ・ユダエウスの個の言葉に心から同意します。


●すべての人に優しくありなさ。誰もが大変な戦いをしているのだから。


親友のピーターは「皆がかわいそうだと思う」とよく言います。この発信に心から共鳴します。だってそうでしょう、何が起こっているのかまったくわからない赤ん坊としてこの混乱した世界に放り込まれたのです。何が起こっているのかまったくわかっていない両親に育てられ、何が起こっているのかまったくわかっていない教師から教えられ、何が起こっているのかまったくわかっていない雇い主のために働くのです。誰もがちょっとクレイジーなのも当然です。でも、お互いに優しくすることはできるはずです。



「わぉ!」のワーク



●誰かとやり取りをする時、その人が表面的にしか目覚めていないようであっても、私と私をつなぐワークをします。

●彼らの目をじっと見るということではありません。見なくても、私と私をつなぐワークはできます。あなた自身、そして相手の存在の深みを意識すればよいのです。

●相手が分離に陥っているようなら、静かに深い自己を思い起こさせませよう。愛に溢れた空間を与えると、もし目覚めたいのならそこで目覚めることができるはずです。

●他者から分離しながらも、分離していないことを意識しましょう。脆い人間性と、深い神聖を真に共有しましょう。

●これを試すと、見知らぬ他人同士から、愛し合う者同士へと変容することがいかに簡単かがわかります。




自分自身を愛する



誰に対しても優しくあるということは、あなた自身に対しても優しくあることです。自分自身より他人の欠点の方が許しやすい人は多いもの。私もそうです。他者は私たちの一面にしか触れないけれど、自分自身とは四六時中一緒です。あらゆる状況において自分自身に直面するのですから、そうであっても不思議ではありません。私だって「自分はすばらしい人間だ」と常に思っているわけではありません。

誰もがありのままの自分を愛してほしいと思っています。けれど私自身が実際どんな人間であるのかを知っているのは私だけなのですから、自分をありのままに愛せるのは私だけです。求めている愛は、自分自身が与えなければいけません。なんて美しい皮肉なのでしょう。

スピリチュアリティに傾倒する人々にとって自分を愛することは特に難しいようで、これは興味深い事実です。目覚めのプロセスに真摯に向き合う人々は、自分自身への愛を意識しておらず、自身の失敗を他人のせいにします。けれど、曖昧な人間性に意識的になり、シャドウを光に導けば、自分自身の姿をおぼろげであっても形にすることができるはずです。

”愛することに在る”ことは、自分自身に対し忍耐強くあることです。それはぶつかり合うペルソナたちの内なる対話、つまり多種多様な内なる意見に耳を傾けることです。愛されない自分をなだめて暗闇から連れ出し、癒されるまで優しく抱きしめます。そして愛に溢れた深い自己の現れへと進化するために、自身の性質を受け止め、欠点を許すのです。





「わぉ!」のワーく


自分自身を愛することで、”愛することに在る”を実践する方法を紹介しましょう。

●自分自身に落胆した時、俯瞰し、深い自己の視点から分離した自分を見つめましょう。

●まるで問題を持つ子どもを抱えた両親のように。

●葛藤する子どもと向き合う時と同じ慈愛で、分離した自分を抱きしめます。

●試してみましょう。ありのままのあなたが愛に値すると知るはずです。







「在ることを愛し、愛することに在る」ワークは、日々を暮らす中、あらゆる瞬間に実践することができます。目覚めるために、常に立ち返ることのできるワークです。強固な土台の上に実践を重ねれば、日常において目覚めることは簡単になります。「深く目覚める瞑想」で”在ることを愛する”ことに焦点を当てましょう。そして「深い愛の瞑想」をすることで、自分のハートを開くために想像力を駆使しましょう。

「愛の網の瞑想」も紹介しました。これも時々試してみてください。そして、最後に「人生を愛する瞑想」を紹介します。スピリチュアリティに興味のある友人と「私と私をつなぐ」も試してみてください。非常にパワフルなワークです。

上達するためには実践を重ねなければいけません。これは目覚めにおいても同じです。同時に、目覚めとはスピリチュアルな到着点ではなく、あらゆる瞬間、すべての人が触れることのできる自然な状態であることを忘れないでください。「在ることを愛し、愛することに在る」ワークは、深く目覚めた状態を自然に立ち上らせます。それは私の経験では、ルーミーがこう綴った感覚なのです。


●すべての実践は消え去る。私は詩に満たされている。

2018-06-03 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Copyright © 本当はすごい私 All Rights Reserved.
テキストや画像等すべての転載転用販売を固く禁じます